今日は、対照的な2つの出来事に遭遇しました。
駅のホームで電車待ちをしていると、突然見知らぬ年配の女性が話しかけてきました。
「三輪神社はここで良いか」と。
あまりにも唐突な聞き方に(ここは駅のホームだ)と突っ込みたくなる気持ちを抑えました。
三輪神社に行ったことのない私が、電光掲示板に流れている停車駅を見ながら「三輪神社の最寄駅はどこですか?」と聞いている最中に、その女性はくるりと向きを変え、スマホ画面を食い入るように見ている男性に「三輪神社・・・」と同じように話しかけていました。
即答できなかった私は、用無しだったようです。その分かりやすい態度が可笑しかった。
あの調子で神社に行くのであれば、神様にも一方的に自分の願い事だけをバーっと言って帰るのだろうな。神様も大変だ。
たまたま今日は、大変急いでいて余裕が無かっただけと思いたい。
午後の用事が終わり、帰りの電車で隣に座った女性からまた声をかけられた。
今度は韓国語の若い女性。
韓国語も中国語も分からないが、その発音の雰囲気で違いはわかる。
「○*△+□新今宮△*□+○天王寺□○*△+○・・・」
天王寺駅止まりの電車に乗っているのだが、彼女は新今宮に行きたく不安に思っているようだった。
「ジス イズ 天王寺でストップのトレイン。バッド新今宮イズ ネクスト」
英語力の無さに情けなく思いながら、言葉を探していると、彼女も「OK」と言いながら私の言おうとしている事を理解しようと真剣に聞いている。
「ストップするけど、セイム ホームでウエイトOK」
「ホーム?」
「んっ?違う?」
「プラットフォーム?」
そんなお粗末な会話をしているうちに天王寺駅到着。一緒に降りて、また電光掲示板を指さしながら、
「ヒア、ウエイトでOK」
「ども、ありがとうございます」
なんとか通じてOK!OK!
お互い笑顔で別れました。
「駅のホームで待ち合わせしよう」と普段言うけれど「駅のホーム」は和製英語。
英語の「home」は「家」で「駅のホーム」は「platform」
今日は、言語が通じる日本人とコミュニケーションできず、言語の通じない外国人とコミュニケーション取れた。
コミュニケーションを表す色は「ブルー」
意志疎通に大切なのは、
いつも心に余裕がある。
相手を思いやる気持ちがある。
一方通行ではなく、互いに真剣に聴く、伝える、関わりを持つ。
面倒がらずに・・・
そんなことを体感した日。